これも記念誌『鐵と共に百年』の明治時代(年代不明)の地図には掲載されていますが大正15年の地図には消えています。

今で言えば油川に架かっていた橋だと思います。
【五の橋について】
数字の橋で言えば一番親しみのある橋だと思います。

その昔橋がなくて小渡りという渡し(舟かな?)があってその下流には大渡りという渡しがあったそうな。大渡という地名はそこから来ているらしい。(なんかの本で読んだが記憶があやふや)
もう一つ言うとこの30メートルよど上流に中島橋という構内の橋があるが、橋の名は「中島」、地名は「中妻」、そのうえが「上中島」。どう見ても変でしょう?。やはり中妻は中島じゃなかったかというのは私の持論です(笑)
【六の橋について】
資料がほとんどないのですが住吉町から上中島町に流れていた川に架かっていた橋のようです。その後道路拡幅により橋が暗渠となり川が水路となったようです。
今でも給食センターの前を通り加藤金物さんの浦を通り県道を横切りSMCを通って甲子川に流れています。
暗渠の場所は正確にわかりませんがこのあたりだと思います。



