釜石の不思議な数字の橋 その2 10.02.19, 10:34
【四の橋について】
これも記念誌『鐵と共に百年』の明治時代(年代不明)の地図には掲載されていますが大正15年の地図には消えています。



今で言えば油川に架かっていた橋だと思います。




【五の橋について】
数字の橋で言えば一番親しみのある橋だと思います。




その昔橋がなくて小渡りという渡し(舟かな?)があってその下流には大渡りという渡しがあったそうな。大渡という地名はそこから来ているらしい。(なんかの本で読んだが記憶があやふや)
もう一つ言うとこの30メートルよど上流に中島橋という構内の橋があるが、橋の名は「中島」、地名は「中妻」、そのうえが「上中島」。どう見ても変でしょう?。やはり中妻は中島じゃなかったかというのは私の持論です(笑)



【六の橋について】
資料がほとんどないのですが住吉町から上中島町に流れていた川に架かっていた橋のようです。その後道路拡幅により橋が暗渠となり川が水路となったようです。
今でも給食センターの前を通り加藤金物さんの浦を通り県道を横切りSMCを通って甲子川に流れています。
暗渠の場所は正確にわかりませんがこのあたりだと思います。


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comments (10)
七の橋の下流にあった橋は人、自転車専用の橋だったと思います。30年前に中妻小5年生時この橋の上で写生をした記憶があります。六の橋の記憶は無いですが幼少時住吉町(この写真の辺り)に住んでいました。加藤金物店裏の川(以前は下水を流していた)は現在フタをしてあります。フタをしていなかった以前は甲子川が増水すると本流から小魚が避難しに遡上してきました。ちなみに私はこの近所に住んでいます。六の橋の流れは藤井商店から笹山電機の道路の下を流れているものと思います。道路途中に金網が架かっている(マンホール?)があり水が流れていくのが見えました。今はどうなっているのかな?車でしか移動しないので気を付けていませんでした。小学校迄の通学路です。
#1 posted by 太郎 at 10.02.20, 09:20
地元の方の情報ありがとうございます。
先日調べてみたらサンデーの裏にはマンホールらしきものが見つかりませんでした。
藤井商店の辺りで国道を越えていると見ていいようですね。
今日、住吉町のほうも見てきます。
#2 posted by 管理人 at 10.02.20, 09:58
> 七の橋の下流にあった橋は人、自転車専用の橋だったと思います。

昭和20年頃の航空写真には鉄道が中島橋から今の上中島アパートの裏の川沿いを通って今の水道事務所の前を通ってセントラルの裏を通って斜めに消防署の小佐野出張所の前を通って川沿いに行って八の橋の手前で社線に合流するように走っていました。
新町が埋め立てられる前ですから埋め立てのための鉱滓(ノロカス)を運ぶための鉄道だったと思います。
鉄道のあとは道路といて変な形で残っています。グーグルマップの航空写真で見ると面白いです。(面白いのはオタクの私だけかも(笑))

人が通る橋が同じものかはわかりません。
#3 posted by 管理人 at 10.02.20, 10:25
「あんべクリーニング」「後藤たばこ店」「旧243」「旧jam」「サンデー」「DUDA」「花園美容院」のマンホールは網型で下が見えますよ。新町⇔小佐野の人、自転車専用橋は「文化橋」だったと思います。
#4 posted by 太郎 at 10.02.22, 09:41
ありがとうございます。
一昨日確認してきました。出来れば今日中にアップしようと思います。

藤井商店の下で国道を渡っていると見て間違いないようです。

九の橋もおおよそのところまでわかりましたがそちらは確定してからアップします。
#5 posted by 管理人 at 10.02.22, 14:54
太郎さん自転車専用橋=文化橋
川沿いに小佐野の文化劇場に行く木でできたつり橋みたいな橋のこと、文化橋しらなかった。
#6 posted by 三浦 at 10.02.23, 18:24
管理人さん中妻=中島論面白いですね,確かに地理関係で言われてみれば納得、でも、私は、中妻=中妻、中島=三角州と想像しています、訳は昔岩銀の隣OO旅館の裏から製鉄所西門前,旧富士館(初代)の隣の母子寮の横まで沼地だった記憶があります。ただの推測ですが、(笑).
#7 posted by 三浦 at 10.03.04, 07:43
その2の管理人さんが載せた地図を見ていたら、中妻子供の家保育園のあたりも沼地でしたね、流込む沢の土手にせんべい屋が有り、そのせんべいのはみでた耳を買ったけ。
#8 posted by 三浦 at 10.03.05, 12:33
今日中妻町を車で通りましたが「千田屋布団店」「カネコクリーニング」の傍に「たかはしせんべい店」がありました。裏通りは昭和テイストな雰囲気の店や家屋がよくあります。話は変わりますが25年位前迄、釜石駅裏には0番地と呼ばれる部落がありました。人道橋と橋上市場側から歩ける様になっていました。今思えばドヤ街で差別部落だったのかな?山本おさむ著「オーロラの街」にも似たエピソードが出てきます。小学校の頃この橋の上から釣りをしました。今は護岸を整備しましたが昔は自然そのものでよかったです。昨日釣りをしていてふと思い出しました。
#9 posted by 太郎 at 10.03.08, 18:27
私たちの頃は20円でパンの耳、センベイの耳を買い5円で口にはいらない飴玉が2個のころです。(年がバレタか?)
1円札も使いましたよ。でも菜の花さんより若いですよ。
#10 posted by 三浦 at 10.03.14, 20:35
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