三浦さんが書き込んだ橋の名前について簡単に説明いたしましたが、写真も無いのでわかりにくかったと思いますので写真などを使ってもう一度説明しようと思います。
五の橋を代表する数字の橋といっても、よく知られているのは五の橋だけなのかも知れません。
明治13年に官営製鉄所の建設に伴い工部省釜石鉄道が建設されたとき、桟橋から大橋まで21カ所,小川支線に10カ所橋梁もしくはカルバートが作られた。それぞれ桟橋側から一の橋、二の橋と名づけられたそうです。
ではそれらが何処にあったのでしょう。
【一の橋・二の橋について】釜石製鉄所の記念誌『鐵と共に百年』に掲載されている大正15年6月の地図には一の橋は市街地から流れて今の中番庫にあった釜池に流れる川にかかった橋だったようです。二の橋は同じく市街地から流れ須賀に流れる川にかかった橋だったようです。

昭和14年6月の地図では河川を改修していて橋を架け替えていますが「一の橋」の名は地図から消えています。

架け替えられた橋は現在も残っています。
【三の橋について】名前を聞いたことがなくても写真を見ればすぐわかるのがこの三の橋ではないでしょうか。

構内の機関車が走っていて、踏み切りがあったのを覚えている方も多いんじゃないでしょうか。